早逝の人たち

2015年05月28日 02:56

@15/5/21 23:09


お笑いコンビ・ベイブルースの河本(かわもと)さんの思いもよらぬ早逝の話を聞いて(関連記事はこちら)、思い出すのはやはり、私が小学校高学年にかけてお世話になっていた鍼灸院の先生のこと。お世話になっていたどころか、私をはじめ、この場所に通う患者さんにとってはみんなの恩人的な人。精神的な意味で、命を救ってもらった人もたくさんいたように思う。

もちろん先生自身も恩人ではあるのだけど、小学生だった私は受付け担当のおばちゃんが大好きで、この心を開かないことで有名な私が珍しく心を完全に開いてなついていた相手。まんまるいおばちゃん。なんともいえぬ安心感を与えてくれる、当時の私の精神的な支えとなってくれていた人。薄々は気づいていたけど、つまりは先生のお母さんだったみたいです。なんと偶然にも、漢字は違うけれど私の母と同じ名前だった。

ちなみに私の場合は、鍼治療を受けるとものすごい睡魔に襲われて爆睡し、帰りの車で爆睡し、家に帰って爆睡した結果、体がとっても楽になる。体の奥に蓄積された悪いものが表面化して、それが洗い流されていくような感覚とでもいえばよいのか。私がストレスに弱いのは、当時もそうだけど、ずっと昔からのものだったようです。しかし鍼治療という強力なサポートとおばちゃんの存在があったこの時期が、私がこれまでで一番元気に過ごしていた時期のように思います。

  ◇

鍼灸院といっても、いわゆる病院という感じではなくて、入り口から入ってすぐの受付けのあるスペースにテーブルひとつとソファーとテレビが置いてあって、まさに客間の様相。客間というかロビー?サロン?みたいな?リラックスできる空間。私が治療を受けているあいだに、ここで待っている母におばちゃんがお茶を煎れて出してくれたりして、まさに癒しの空間。私はここにいる人たちも、ここに来る人たちも、自分の居場所であってくれる(と思える)この空間自体も大好きだった。やさしいBGM。いまでも忘れない白檀のお香の香り。忘れないどころか、いまでもお香を焚くとなると白檀一択です。

おばちゃんについて少し語っておくと、白檀のお香といえば、私が気に入った・好きであると言ったら、お香を少しわけてくれたりもしたな。部屋のBGMについても、私がα波オルゴールのCDを手にいれたと言ったら、興味を示して「持ってきて流そう」と提案してくれたり。次の機会に実際にCDを持っていくと、さっそく部屋で流してくれて、そのとき来ていた患者さん‥っていうか大人のお姉さんやおばさんたちとの会話の話題にしてくれて(ころもちゃんが持ってきてくれたα波が出るオルゴールやねんて、的な)、ほかの患者さん‥というか大人のお姉さんやおばさんたちも感心してくれたりなんかして、私の自尊心的なものを心地よく刺激してくれたり。そういうおばちゃんなんです。おばちゃんたちのあたたかい手のひらの上で、私はころころと心地よく転がっていたのです。ありがたいことです。

  ◇

続きまして、本題ともいうべき「先生」についての思い出をしゃべります。
ブログの過去記事を調べたところ、おそらく3年ほど前にもこの人の話を話したことはあるみたいだけど、改めて話してみます。

その鍼灸院の先生は男性で若くて阪神の能見選手に似ていて男前で背は高くて(もやし系ではなくてちょうどいい感じ)、それなのに二重飛びができる。
当時、私は小学生らしく授業の課題として二重飛びに挑戦するも苦戦しており、縄を持ってきたら教えてあげるということになったのだったか、そういうことになったわけです。私としては、背が高いと重たいだろうからジャンプは難しいというイメージがあったのだけど、先生はなんかすごいできて、実にソンケーのマナザシで見つめていました。縄を短くして持つのがコツだと教わり、私も何回か成功させたような……、ような……、どうだったか。。(笑)

  #

そして、先生が阪神の能見選手に似ているという話。
能見選手はわりと男前という評判のようだけど、もしそうだとしたら能見選手にそっくりな先生も男前ということになるというか、いま思えば男前でした。いや、当時の私はそういうことに疎かったこともあったのか、男前ゆえに緊張するとかいうよくあるパターンは経験しなかったと記憶しているのである。いまなら挙動不審になること請け合いですがね。むしろ余計なことに気がついてなくてよかったのかもしれないね。

ていうか、そもそも能見選手を知らなかったんじゃないだろうか私……(笑)。たぶんそうだ、母に「先生って阪神の能見選手に似てるなー」的なことを言われても「うん……?」とハテナを飛ばしていたような気がする。そして年月を経てから「能見選手」を見て私は、「先生に似てないこの人?」「だからずっと言ってたやん!」的なやり取りをしたことがあったような。そして以降、私は能見選手を認識するようになる。テレビで野球の試合に遭遇したとき、能見選手が投げてたらとりあえず見てみる程度には認識するようになった。華麗なる成長。

  #

余談ながらもうひとつ。
我が家の猫・コウ(女子)の名前は、漢字を当てはめるとしたら「幸」の予定です。先生の名字にも入っているし、私の祖母の名前にも入っているし、そもそもハッピーという意味合いがありがたいよね、というわけで。まあ、漢字を当てはめるとしたらですけどね。基本的にはコウ。でも動物病院のカルテでは「こう」。母が初めに名前の欄に書いたのが「こう」だったので、予防接種のお知らせのハガキなんかは「こう」で来ます。すなわち、名前をたくさん持った猫さんです。
もしかしたら母的には「こう」なのかもしれませんが、私的には完全に「コウ」です。性格真逆コンビです。けれど「猫愛」は共通。

  ◇

思い出エピソードの背景としての話。
ある日のこと、私と母が『モンスターズインク』だったかを見ようと思って映画館へ行ったところ、まだ公開日前だったのかチケットが完売していたのか、何はともあれ見ることができなかったのですが、その映画館がワーナーブラザーズ系列のシネコンだったこともあったためか、偶然にもその日、ハリーポッターの先行上映というのがあって、それならチケットがあって見れるということだったので、予定を変更してそちらを見ることにした、というエピソードがあったということを頭に置いておいていただきたい。私も原作を追いはしていたものの、我ながら、当時から謎の引き寄せをしていたなと思うんですけど(笑)。

話を先生との思い出に戻しまして。
当時はハリーポッターブームの全盛期だったということもあってか、先生もしっかり、原作を発売日に手に入れて読むぐらいのハリーポッターファンだったのですけど、上記の話をするとすごく驚かれて羨ましがられたということも、いまではよい思い出です。私は公開日前の先行上映で見てしまうという、結果的になんかすごいハリポタファンみたいなことをしてしまいましたが、これは単なる偶然でした。まだ公開日を迎えていないタイミングにも関わらず、電光掲示板に書かれたハリーポッターの文字。私もなにかの間違いかなと思いましたもん。むしろ、前回のあらすじを思い出すための前作の再上映とかなのかなと思ったぐらいだったけど、やっぱり最新作の先行上映だった。

  #

そういえば、チョコボールを大人買いして「くちばし」を集めて缶詰めを手にいれたりもしてたなぁ。いま思えばなかなかにかわいい。ちなみにその缶詰め自体は見た覚えがあるけど、中身は見せてもらえませんでした。自分でくちばしを集めて手にいれるからいいんだって(笑)。

あれ、どんどん記憶がよみがえるな。ほかにも、チョコのたまごのなかにフィギュアが入っている、いわゆる「チョコエッグ」のフィギュアを集められたりもしていたような気がする。当時、私はジャンガリアンハムスターのパールホワイトという子を飼っていたのですが(いわゆる「コハム」すなわち「コハ兄さん」)、ある日、受付カウンターの上にまさにそのコハさんに瓜二つのハムスターのフィギュアがいて、私が興味を示して気に入っていたら、たしかおばちゃんがくれちゃったんだけどよかったのかな。私もそんなつもりはなかったし、一応遠慮はしたはずなんだよ私だって。けどおばちゃんが先生に「いいですよね~?^^」と確認した結果、いま思えばもはや先生に逃げ道はなかったなと思うけど、しぶしぶながら許可が出たんだったような……(笑)。そんな思い出もある。

  ◇

そして。

先生が亡くなったのは皮肉にもお正月のことだったらしく。よくわからないけど突発的な心臓発作…?それで自分でもなにかを覚ったのか「あかん、救急車呼んでくれ」って。いわゆる突然死的な感じだったみたい…?
奇しくもそれは私が中学受験をするタイミングだったこともあったようで、おばちゃんの配慮で受験が終わるまでは動揺させないように私には伏せられていたのだけど、それが解禁となったタイミングだったのか、それとも、中学受験のための塾が忙しくなって鍼灸院から足が遠退いてしまっていたことから、私がふと思い至って「先生どうしてるかなー」と尋ねてしまったのか、母がそれとなく伝えてはきたのだけど、「先生は星になった」とか「修行の旅に出た」とかよくわからない答え方だったこともあって、それこそ私は先生が高名な鍼灸医の先生について鍼灸医のスターになるべく修行をされにでも行っているのかと本気で思っていたら、亡くなったとのことでしょう。にわかには信じられませんでしたよね。「は?」ですよね。鍼灸医のスターになるための修行の旅に出ている説のほうがよっぽど信じられた。だって屋久島のお土産のお箸もらいましたよね。生きてましたよね。元気だから屋久島の縄文杉も見に行けたんですよね。あれけっこう歩くみたいだし。縄文杉の写真だって見せてもらった記憶がありますよ。えっ……。訃報を聞いた当時の私はこのような感覚だったと、現在の私は記憶している。
正直、先生が屋久島に行ったタイミングがどこだったか忘れてしまったのですが、初めて先生と出会ったのが私が10歳のときで、逝ってしまったのが12歳のときだったはずだから、この2年の間のどこかであることはたしか。1年目ってことはなかった気がするし、私が12歳になると私の塾が忙しくなってきたはずだから、やっぱり亡くなる1年前から少し前までの間のことだったんじゃないだろうか。違うかったらすみません。ころも は こんらん している!

  #

亡くなったことを知ってしばらくしてから、先生の実家へお参りに行ったことが一度だけあって、飾られた遺影を見ても悪い冗談にしか思えなくて。いまにも「おっ、ころもちゃん来たな~」とふらっと現れそうで。
私の記憶にはないんだけど、おばちゃんも「狐につままれたみたい」と言っていたと母から聞いた。おばちゃんですらそうなんだもの。

そしてこれは記憶が曖昧なところがあるのだけど、そのときに参った祭壇の卒塔婆的なものには二十八の数字が書かれていたような気がするので、それが「かぞえ」だとしたら、おそらくは享年27歳だったのではないかと思っている。
ということは、私が12歳のときに27歳だったということになり、初めて出会ったのが私が小4――すなわち10歳のときだったと思うので、そのとき先生はもしかしたら25歳とかだったのかもしれない。おいおい、すなわちいまの私ぐらいじゃねーか10歳児とかまともに相手できねーよどーすんだよおいパニックだよ先生すげー大人だったよ当時から。うへえ。
そもそも、鍼灸医の学校を出てから27歳までというごく短い間に、どれだけたくさんの人を救ってきたんだよということだよ、すごいよ……。

  ◇

久しぶりに解き放った思い出に浸り、時を越えて再び癒しの時間をいただくことができました。あのときもらったこの思い出は一生のものだから、私は一生この記憶に癒されることができるということですね。本当にありがとうございます。このタイミングでまた思い出させてくれてありがとう。いつまでも大好きな時間です。先生、これからも見守っていてください。

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